唐山市への企業進出をお考えの皆様に、唐山市の歴史・文化についてご説明いたします。
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唐山市の概要
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唐山市の歴史・文化

唐山市は長い歴史と、独特の文化に培われた風格ある都市です。南方中国の新開発都市とは異なり、地元の素朴な人々が長い年月に渡って、古くからの文化を受け継ぎ、守ってきました。現在の落ち着いた唐山市があるのも、人々が歴史の基礎の上に立って、新しい文化を創造してきたためなのです。

歴史

1881年に中国で初めて作られた機関車

唐山市域は4万年以前から人が住んでいた遺跡があり、約3,500〜3,000年前の「商王朝」時代は「孤竹」の国と呼ばれ、北京市や天津市が存在しない時代から栄えていました。
中国には“不食周粟”という4字成語があります。 これは「孤竹」の王の二人の息子(伯夷・叔斉の有名な物語から生まれたもの。二人の息子が商王朝にご挨拶に出かけましたが、旅の途中で商王朝は周に滅ぼされてしまいました。そこで二人は「周の国」がいかに強く豊かでも、商王朝に恩義を感じて敵国の粟を食わないとの決心をして、飢え死んでしまいました。
“不食周粟”はこのことを言っており、唐山人の気質を表しています。
中国には少しでも給与が高ければそちらへ移るといわれる地方がありますが、唐山ではそのようなことがないのは、この気質と伝統が今でも生きているからなのです。
 唐の時代の紀元645年、二代皇帝の唐太宗李世民が朝鮮半島の三国紛争の調停からの帰りに、現在の唐山市内にある小さな山の麓に暫く駐屯していました。この時随行していた妃の曹氏が重病に襲われ、亡くなってしまいました。李世民皇帝が愛する曹妃を唐山の近くにある離島に祭って、駐屯していた山を国名の「唐」の使用を特別に認め「唐山」と名づけ、曹妃を祭ってある島を「曹妃甸」(甸は天子が直接治める地域の意味)と命名された。
 19世紀になると、この「唐山」の麓に石炭鉱が発見され、人口が増え大きな町に発展し、都市名も「唐山」になったわけである。清王朝末期の洋務運動リーダの李鴻章氏が唐山において近代産業を興し、中国初の炭鉱・広軌鉄道・蒸気機関車・セメント・衛生陶器・高炉製鉄がすべて唐山で誕生された。
  中国で初めて1877年より唐山にて石炭採掘を始め、1881年には中国で初めて唐山に広軌鉄道が敷設されました。また蒸気機関車も中国で最も早く(日本の蒸気機関車生産より12年早い)生産しました。衛生陶器やセメントを中国で最も早く生産したことでも知られています。高炉を用いて製鉄を中国で最初に開始したのも唐山市において行われました。
 このように機械工業を中心とする各種産業が発展を続け、唐山市は「中国近代工業の揺りかご」「中国北方の陶磁器の都」「鋼鉄の都市」と呼ばれるようになりました。


文化

評劇 画像

唐山独自の文化は、演劇・歌曲・食物にもあります。唐山市のロバ皮を用いた「皮影(ピーイン)」と呼ばれるカラー影絵劇は有名です。この「皮影」は気取った劇場ではなく、街の一隅に立てられた仮設の芝居小屋で上演され、地元の住民が夕涼みしながら楽しんでいます。
またこれとは別に唐山には独自の歌と衣装で表現をする「評劇」があり、現在でも市民が自ら演じて楽しんでいます。
唐山の「楽亭大鼓」も伝統のある独特文化の一つで、三味線伴奏で三国志などの歴史物語を語る形で、テレビの無い時代には一般市民にとって不可欠な文芸娯楽の一つでした。

コーラス

唐山市の合唱団は、中国内のコンテストでもトップ3に入るほどレベルが高く、中国を代表して海外公演も行っています。

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